心地よいテンポで話は進んでいく。その間に、著者の卓見やユーモアが入り、これぞ古典的・伝統的な小説のお手本のようだと感じた。フランス文学専攻の作家・中村真一郎氏は、フローベールが十九世紀の小説の方法を完成させた作家だと述べている(『現代小説の世界―西欧20世紀の方法』講談社現代新書)。
さて、中村氏は上記の続きとして、十九世紀小説の方法に反発して(つまり、フローベールを否定して)、二十世紀の小説を始めたのは、まずプルーストとジョイスだと述べる。ところがこの『ボヴァリー夫人』上巻の最後の約四十ページ足らずに見える表現方法は、二十世紀小説の先鞭をつけるものだと私は直感したのである。絵画で言えば、セザンヌというところであろうか(印象派・後期印象派から二十世紀絵画への橋渡しをしたのはセザンヌではないかと私は考えている――なおこのあたり、「生兵法は大怪我のもと」という戒めを気にしながらも書き進めています)。
そこで、上巻最後の四十ページの紹介をしておく。
エンマに一目ぼれした、女好きの男ロドルフは、あのエンマなら取り柄のない夫にさぞ不満であろうと推測し、エンマをものにしようとチャンスをうかがう。そして共進会会場こそ絶好の場所だと考える。そこには村じゅうの名士や人々が集まっている。
ロドルフはボヴァリー夫人を誰もいない場所に連れて行く。
その間にロドルフは、ボヴァリー夫人(エンマ)といっしょに役場の二階の「会議室」へ上がっていた。室はからっぽなので、楽に見物するにはもってこいだとロドルフはいった。(p.221)
やがて壇上の参事官が起立して、硬い演説を始める。時を同じくして、ロドルフはエンマを口説き始める。演説が区切って書かれ、そのあいだに口説きの情景がはさまれる。この書き方こそ、私の勘では、ジョイスが『ユリシーズ』で見せた書き方と相似ではないか。つまり、同時進行の場面を、なるべく同時進行的に書き記している。一方を書き終えてから、「その間に、……」とは書かないのである。
さらに続いて、審査委員長の箇所も同様の書き方がなされている。審査委員長が表彰者を読み上げているその時、ロドルフはエンマに言い寄り続けている。
《アルグイユ村のカロン君、金牌1個!》
「誰とつきあっても、これほど満足な喜びを感じたことはなかったのです」
《ジヴリー・サン・マルタン村のバン君!》
「ですから私は、あなたの思い出をいだいて死ぬのです」
《メリノ緬羊、牝1匹にたいし……》
「でもいまにお忘れになりますわ。私なんか影のように過ぎ去ってしまいますわ」
《ノートル・ダム村のブロー君に……》
「どうしまして! ね、あなたのお心の中で、あなたの生活の中で、この私を少しは特別なものと考えていただけるでしょうね」(p.235-6)
以上は、現代の小説に通じる斬新な表現方法ではないかと思う。
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ボヴァリー夫人 上 (岩波文庫 赤 538-1) 文庫 – 1960/6/25
- ISBN-104003253817
- ISBN-13978-4003253816
- 出版社岩波書店
- 発売日1960/6/25
- 言語日本語
- 本の長さ244ページ
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (1960/6/25)
- 発売日 : 1960/6/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 244ページ
- ISBN-10 : 4003253817
- ISBN-13 : 978-4003253816
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上位レビュー、対象国: 日本
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2016年6月15日に日本でレビュー済み
全体的には新潮の生島訳の方がより自然で分かりやすくなっている気がします
たまに気になる単語や言い回しがあるので辞書で調べてみてやはり日本語としておかしいなと思われるところが、新潮の生島訳ではよりしっくりする語や文になっていました
ただ、伊吹訳の方が生島訳より単語が一つ余計に多い文がちょくちょくあり、なかには一文増えているところもありますのは、どちらがフランス語原文に忠実なのか気になるところ
ちなみに、伊吹訳ではわざわざ参事官の演説は文語調、エンマの父の手紙は候文になってました
たまに気になる単語や言い回しがあるので辞書で調べてみてやはり日本語としておかしいなと思われるところが、新潮の生島訳ではよりしっくりする語や文になっていました
ただ、伊吹訳の方が生島訳より単語が一つ余計に多い文がちょくちょくあり、なかには一文増えているところもありますのは、どちらがフランス語原文に忠実なのか気になるところ
ちなみに、伊吹訳ではわざわざ参事官の演説は文語調、エンマの父の手紙は候文になってました